2020年10月

<アナウンサー>

さて今回の批判の中には、歴史を知らない人が鵜呑みにしてしまう

という現代人の歴史認識の低さを指摘する声もあるんですよね

金村さん、ここはどう考えますか

<金村>

そうですね

まあちょっとそういった問題でいえば

世代間の断絶がすさまじいんですよね

たとえば戦争の話っていうと、僕今2891生まれなんですよ。

となると、私の丁度・・ (画面が飛んで聞こえない) 

なので戦争の話って聞けたんですよね、直接

<アナウンサー>

うーん

<金村>

でも今のその高校生たちってそういう話聞けないんですよ

おじいちゃんおばあちゃんたちが団塊の世代に成っちゃうんで

やっぱそういうところで全くこう本来共有されているべき知識みた

いなのがまず共有されていないということが一つと

これは「ひろしまタイムライン」が問題になる前から思っていたん

ですけど旧植民地出身者のことが全くこう出てこない訳ですね

 

で、これは何が問題かっていうと

例えばその当時のその戦争ですね、その大日本帝国てのはまあ朝鮮

半島だけじゃなくて台湾や樺太や南洋諸島の人たちも実はそこに

混在して住んでいたよてことが、歴史の本当は前提なんですけど

まあここ最近「ひろしまタイムライン」のみならず

えー日本人だけの語りになってしまっている

<アナウンサー>

うーん

<金村>

それによって本来例えば向き合うべき、えー例えば日本の植民地へ

の責任であったり

どうしてこうそういう人たちが

まあ私たちのようなその旧植民地出身者が実際に生きているのかっ

てことが見えなくなっちゃうんですよね。

<アナウンサー>

なるほど

<金村>

なのでやっぱりそういったところがもうちょっとこう語られるよう

になれば少しずつ差別や偏見に対してですね、

あのだんだんとやわらかくなっていくのではないかと思っています。

 

<アナウンサー>

はーい

小野寺さん、いかがですか?

<小野寺>

僕はですね、

やはり歴史的認識をしっかり持つということが差別をなくす、と

いう風にずっと思っているんですけれども

例えば今の発言でですね

まあ植民地化したという話がありますが

実は韓国は併合されたんだと

なので日本になってですね、韓国側も無理やり日本がその植民地

化したというような方も

それは主張としてはそういう主張もあると思いますけれども

でも当時の国際法に照らしてでもですね、しっかりとこれは日本に

何の責任もないと

きっちりとした手続きを踏んで併合したという話があると

そこらへんのですね、事実をちゃんとお互いが認識を持って正しい

価値でですね

それを史実としてみていかないとですね

ずっとですね、このような意見の食い違いが生まれてですね

その意見の食い違いが最終的には差別というものを生んでしまっ

ているのではないかなという風にと思います。

で先程のまあ、シュンくんの発言も

ああいうような厳しい「朝鮮人が!」と言ってしまったのは

実は我々は同じ日本人だったのに戦争が終わったら急に戦勝国面

かよみたいなですね、気持ちももしあったんだとしたら

そういう気持ちも、僕シュン君の気持ちも分かりますし

ただ逆に日本人としても今までそういう朝鮮の方たちに対して

いろいろな思いを持つようなことをしたんだとしたら

それも反省をすると

お互いがしっかりと歴史を認識をしていないということがですね

こういう問題につながっているんじゃないのかなと思いますね。

<小藪>

だからやっぱり、歴史的に見解が今お二人だけでも少し違う部分

がある

大きく違う部分があったり

まあ巷でも結構別れる意見ではあると思いますね。

どっちも言えば僕ではよく聞くお話です。

なので在日の人と日本人という考え方じたいじゃなくても

いわば在日の人でもええ人と悪い人おると思うもですよ

日本人でも悪い奴とええ奴おると思うんですよ

なのでこの縦で割るんじゃなくてええ奴でこう

<アナウンサー>

うーんなるほど

<小藪>

繋がるようなねえ、時代に成ったらええなと思いますけどね。

 

<佐々木>

日本の戦後の戦争観、太平洋戦争観ってものすごく真っ二つに分か

れてて

もう被害者感と加害者感両方がずーっと並行してきてるんですよ

戦争が終わった頃はね

戦争従事者が一杯いたので、被害者、我々被害者だったと

軍部が悪いという人が圧倒的に多くて、それがまあ70年代ぐらいに

なってから

いやいや在日や朝鮮半島やもしくは東南アジアに対して俺加害者だ

ったよね、って事を言った

で、それ以来加害意識ということがすごい問題にされるようになっ

たんだけど

でそこがねすごい振れすぎていて

一方でね、まあ近代の歴史学ですね

すごい勢いで進歩していてですね

何故太平洋戦争が起きてしまったのか

何故途中で我々は戦争をやめられなかったのか

という詳細な分析 さんざんされているんですよ

だからそこのね、実は知見て重要なんだけど

あんまりね、こう世論とかあるいはこういうニュース番組とかで

そこの部分は言及されてないんですね

結局ずっとやっていのは、まあ平和報道って、僕新聞記者時代によく言っていたんだけど

815日が近づいてくるとそろそろ平和報道の取材班作んなきゃとかいってですね

秋ぐらい、あの夏ぐらいからチーム組んでなんだろ「ひめゆり」

の人とかに話を聞きに行くという

さっきもお話出てたと思うんだけど、もうあれから73年たって、

75年か75年経って

もうほぼ亡くなりつつあるんですよね。鬼籍に入りつつある

そうすると平和報道もほぼ限界にいきつつあって

いつまでもいつまでも生き残りの戦争被害者の人の話を聞くってこ

とも無理になってきてるよね

じゃあこの先どういう形で戦争しない平和的な報道を人に伝えてい

くかってことをやるのか

しかもそこにどうやって現在の歴史学の成果をですね踏まえるのか

 

ということが今すごい問われている問題で

たぶん現場テレビとか新聞、現場へ出ている人は皆重々わかっていると思うんだけど

そこをね、もう一回再構築しなければいけない時期に僕はきてるんだと思うんですよ

 

<安部>

 アウシュビッツの日本人のガイドからの考え  (コメント省略)

<小藪>

 ドイツと日本は同じではない

 一つの民族を根絶やしにしたことはない等   (コメント省略) 

<安部>

<五味>

差別もそうだし、戦争も自らというか、これから自分たちが加担

する可能性もあるよね、っていう風に考えるかどうかですね。

 

<アナウンサー>

最後になりますけども、お二人に歴史をどういう風に伝えていけばいいのか

というところですけども、改めて金村さんいかがですか?

<金村>

そうですね、あの

今回の問題に関して言うと、例えば、あの日記の原文が公開されていないんですね。

<アナウンサー>

はい

<金村>

原文とは何かというと、

実際に新井俊一郎さんが書かれた日記のことを原文というんです

ただ今回は書き起こしテキストですよね

で、こういった基本的にその史実を語り継ぐって言うのは慎重にや

らなくては行けなくて

例えばあの国会図書館にある日本国憲法の誕生というネット展覧会

ネット展覧室があるんですね。

そこでは日本の敗戦から日本国憲法の誕生までをですね、全部追っ

てやっていく展示室なんですけど、そこではちゃんと原文と書き起

こしテキストの両方があるんですね。

で、やっぱそういったえー基本的な学問的な手続きをやっていない

しかも専門家の人を監修にしたと言ってますけどその人がいったい

誰なのかもわからない

えーさらにその制作体制ですよね

本来NHK広島が責任を持たなくてはいけないのに

<アナウンサー>

そうです

<金村>

監修の一人だった劇作家の人が謝罪している

<アナウンサー>

うーん

<金村>

これってまずその史実の問題であるのと同時に

いかにこう制作の体制が整ってないか、

<アナウンサー>

うん

<金村>

そして手続きもずさんであったかというところを問題にしていかな

いと同じ過ちを繰り返すと私は思うんですよね。

<アナウンサー>

はーい

<金村>

なので実は今回のツイート、

ま今回のシュンちゃんのツイートってのは

ネットアーカイブ化してちゃんと検証できるようにしてほしいと思いました。

<アナウンサー>

なるほど小野寺さんいかがですか

<小野寺>

やはりですね私も、いまその、ま、在日朝鮮の方達と私たちという

のはですね

ま相容れない部分があると思っている、

まあ方たちもたくさんいると

私はこれをですね、すごい不幸なことだと思ってですね

ま将来的にはですね、お互いが歩み寄って

やここに一緒に住めて良かったね、と言うようなですね

ま日本を作っていく必要が私はあると思っています。

ただそれにはですね、しっかりとした歴史と向き合うという勇気も

必要だと言う風に思っておりますし

実際に例えばその時代時代でですね、人間の、日本人の価値観というものは変わってきたと思います。

例えばおしんの時代ですね、こんなものは児童虐待だろう

というような話になるかもしれませんが

その時はしょうがなかったんだ、等々ですね

日本人としても歴史の綾というものをですね、しっかりと

教育をしていかなければならないと、そういうこともしないでですね、まあ、歴史と向き合ってこなかったというつけが今ここにきていると思うので

お互いがしっかりとした認識を持つということが

これから我々の、ま仲良くですね、住んでいくのに必要だと思って

います。

<アナウンサー>

はい小野寺さんと金村さんにお話を伺いました。

ありがとうございました。

<二人>

どうもありがとうございました。

 

画面

上帯

LIVE#アベプラヘイトを誘発?ひろしまタイムライン騒動を考える 

下帯

差別の歴史どう伝える?の遺産を知る機会ABEMA news           

 

感想

小藪さんはとても気を使った表現で一つ一つ丁寧にコメントする

それでも「いわば在日の人でもええ人と悪い人とおると思うもです

日本人でも悪い奴とええ奴とおると思うんですよ」には違和感

がいっぱい

これでは在日の人たちに気を遣うというよりもむしろ差別を作り出

しているのではないかとさえ思う

お客様には丁寧語で、自分たちは謙譲語でととらえるとすれば

それでは同じ場所に対等あるいは公平平等な尊厳を持って暮らす人

間同士とは言いえないと思う

そしてこの番組では決して語られることはなかったけれど

所謂「在日特権の問題がある。

日本において日本人と在日の人たちの間に全く公平でない、

しかも恫喝など不条理な理由で獲得された特権が存在する限り

真の平等などあり得ない。

その事実を隠すために、相手をヘイトだと非難する体質がある限り

大きな溝が、高い垣根が、いやそれこそ塀があるのだ。

 

しかし、それでもこれをヘイトだと訴えるのが朝日毎日の世界観だ

とすれば巷でうわさされる朝日毎日の問題点は本当のことなのか

もしれない

ここに在日の問題が、もしかしたら特に大阪の問題が内在されてい

るのかもしれない

小藪さんの立ち位置としては、真面目で精一杯の賢明な役回りだっ

たのだろう

 

<アナウンサー>

なるほど不用意な面が見られるということですね。

小野寺さん、いかがですか

<小野寺>

ま、実際にこのツイートなんですけれども

私がまず最初に感じたのは

実際にこういうまあ騒動というのは、まああったというのは

いろいろな新聞等々でも報道されています。

いい、悪いは抜きにして、史実としてあったんだということは

事実として認めなければならないと

ただ、まあ先程もいろいろなお話が出ていたように

日本人のですね知識だとかがあまり成熟していない中で、

こういうものを急に出したときのですね、いろいろなハレーションというものもNHKというのはしっかり考えなければならなかった

とそれをしないでいきなりこういうツイートをしてしまったという

のは私はちょっと問題だと思っています。

後ですね、

この発言の中で

例えば戦勝国という発言がありますが

戦勝国ではなくて当時は、まあその、半島の方たちは日本国民だっ

た訳ですので私としては戦勝国というのは当たらない、

これはまあいろいろな考えがあって当然だと思いますが

これは私の考えとして受け取って欲しいんですけれども

そういうまあ発言があるということは実際には、まあその

在日の方たちと私たちのまあ考え方の相違があるということにです

今まで私たちは真剣に向き合ってこなかったという

そういう負のまあその部分がですね、今この大きな問題に繋がっ

しまったのかなというまあそういう感じを持っています。

<アナウンサー>

うーん

まあ、歴史認識をきちんと持っている方が見ると

その表現に違和感のある部分があるというのが一点

それからいきなりタイムラインにですねこのツイッターで

こういう文言が飛び込んできたときにびっくりするっていう

これに対する対応をどう考えるかというのもありました

安部さん、どうですか?

 安部敏樹氏   (コメント省略)

 小藪氏       (コメント省略)

  アナウンサー (省略)

 金村詩恩氏   (コメント省略)


<アナウンサー>

小野寺さんいかがですか。

<小野寺>

えー実際にですね

確かにそのまあ在日の方たちに対する差別というのは

私はないというのは言いません

言いませんけれども、何故そういう差別が残っているのか

というと、まあこのツイートにも表れたように、

実際にはこういう事実と向き合ってこなかったと

で実際にまあその正直にそういうツイートがあった

そういう発言があったということを

ツイートをした時にですね

まあこれは、まあ差別だとかヘイトだというふうに

まあ言われたまあ側としては

これは史実だろうという風に、反発し合うと

お互いに分かり合えてないというのは

やはりそこの部分をですねずっと我々は避けて来て

こういうことがあったと

だから、そのまあ半島の方たちも反省して欲しいと

ただ日本人としてもそういう反動でいろいろな、あ

その朝鮮の方たちに

まいろいろ悪いこともしてしまった

それも我々は反省する

だから歩み寄ろうというですね姿勢が

今まで全く無かったということで

そういう時にこういうツイートを出した時にはやはり

ま、避けて通ったというハレーションが

ここに起きてきてるんじゃないかな

というのが私の見解ですね

<アナウンサー>

はーい、

佐々木さんいかかですか

 (佐々木俊尚氏 ジャーナリスト元毎日新聞記者に)

 佐々木俊尚氏  (コメント省略)

 安部敏樹氏   (コメント省略)

 ハヤカワ五味  (コメント省略)

 金村詩恩氏   

  金村氏による注釈例

「原文まま」

「人種差別的な表現がありますが、これは筆者の意図を・・

 みたいな」

「日記・手記・インタビューに実際にあった記述です。

 当時の時代背景を理解していただくために使用しました。

 差別的な意図はなく、差別目的による引用はおやめください。

 (出典の資料・映像または音声データの添付)

 三段階のカギが必要、インターネットだから

 

<アナウンサー>

小野寺さん、いかがですか

どういう形であれば成立していたのかっていいますかね。

<小野寺>

やっぱり実際にですね

まあNHKで言っているような注釈というのは

まあインタビューだとか当時の証言だみたいな話ですけれども

当時の証言だとかインタビューが史実かどうかというのはわかりま

せんよね

もしかするとその人の勘違いかもしれませんし

本当に歴史的にそれがあったかどうかはわからないと

ただ実際にですね

これは悲しい歴史としてそういうこともあったと

ただこのツイートはまあその朝鮮の方たちを差別するような意味合

いはなく皆さんに本当の事実を知ってもらいたいと言うことで出

したんです

というようなですね

まあその丁寧なですね

何故この企画があって

どういう企画で皆さんに何を伝えたいのか

ということをですね、しっかりのが伝えた上で

注釈を書くべきだったと思うんですけど

まあ当然ああいうようなそのツイートが急に出てきたらですね

あっと思う人がいるのは当然だと思いますし

そういうことを考えてNHKまあ全部トータルとしてですね

まあ一つの作品として考えるべきだったのに

トータルとして考えてないというの問題だったと思います

<アナウンサー>

うーん

批判を受けたNHKですが注釈をつけるようになりました。

そのツイートがこちらです。

これ下についているんですね。

 

 1945828日分

 妊婦であるやすこさんが広島の町へに行くことへの不安を綴った

 ツイート注釈を囲んだ画面

厚生労働省が原爆症と認める白血病や

 がんなどは伝染しませんが、当時の状況

 を伝えるため、日記に基づいて掲載しま

 す。

 とある。

 

付けたんですけど、付けたら、

「最初からやっておけばよかったのに」とか

あるいは「世界観が壊れる。臨場感がなくなったなぁ」とか

「作り物になったみたい」みたいな

たしかに、なんかこう、やりたいことと違うような雰囲気に・・

<安部>

やぁ、これは本当にむずかしいなと思って

たぶんここの目的って、こういった投げかけをすることによって

多くの人に見てもらって改めてこの戦争責任の話だとか

戦争って何だったんだろうなみたいなことを考えて貰うことの

結局こういうことをまあ、注釈に入れることによって広がりがしづ

らくなってしまうっていうのはたぶん事実じゃあると思うんですよ

ね。

<小藪>

だからほんまええご家庭、ええ人たちが集まって、まあ

まあやっぱり俺らはそういうことはもうね、これからはなく

イッツスモールワールドで行こうぜ(笑)

ディズニーランドに行こうかてなもんで

もう前向きにすりゃあええねんけど

それをまたチャカチャカチャとする人がおるから 

おかしになるけど

<佐々木>

表現力の問題でもあって

 「この世界の片隅に」について 云々・・・ (中略)

NHK、この今回のこれを評価しているんだけど、一方で

もうちょっと研ぎ澄ました言語感覚で表現してほしかったなって

期待はしたいですね

<小藪>

なんかええことやろうとしてミスったんを

ここで大人があげつらってワーワーワーワー言うものも申し訳ない

なという気持ちも

NHKさんっていうか、ええことしようとしている人らにほんとに思

いますけれどね

なんかこう、ちょっと前許永中さんの本を読んでいるとか

したやっぱ時代、生きている時代も違えば

僕も日本人としてあちらは在日の方として

全然、この、この問題については僕の友達も山ほどそういう人

在日の人一杯おったし、そういうお話もしてきたので

わりと知っているほうなんかなと思ってたんすけど

あの当時生で生きていた在日の方のその雰囲気

思っていることとやっぱり大きく違うんすよね

同じ添ってる感じで、

これからはイッツアスモールワールドと思ってても

あ、そうなんやということはいっぱいあったから

あのトーンで行くんやったら、

なんかそういう在日の方三人ぐらい賢い人入れて

これ行こう思いますねんけどどう思いますかとか 

先入れとっても良かったんかなと思いますね

その専門家というか

言うても俺らでは分かり切れへんねんから

真の部分は分らん部分というのは絶対あるんやなちゅうのは

<アナウンサー>

そうですね

実はその制作体制についてですけど

監修者がついていたということなんですね

劇作家・演出家ということでこのような形になってまして

 (画像有)

まあ若い人たちが参加する形で作って

さらに監修者と

ただ、これあの名前は公表していないということではあるんですが、

こういう形の監修者がついていた

ということではあるようなんですけどもね

 

<安部>

いや僕やっぱ今その小藪さんのさっき言ったイッツアスモールワー

ルドだったらいいんだけどなみたいな話って

前、いろんな議論でディスカッションしたときに、そらみんな賢か

ったらええやんて話言うじゃないですか

でもそれ本当に問題の本質のところの気がしていて

今回の話とかもポリティカルコレクトネスという言葉ありますよね、

政治的に正しい言葉遣いをしましょう

差別を助長することはしてはいけません

りゃそうなんだよ、

そうなんだけど、結局その

ポリティカルコレクトネスみたいなものをこう助長し続けた結果

逆にそのポリティカルコレクトネスを守るということの暴力性に

気づかなくなっちゃうって結構あって

それってほんとにここ五年ぐらいのね、・・・()

<アナウンサー>

コメント頂いていますのでご紹介します。佐藤さんお願いします。

<佐藤>

はい

こういう議論が見たかった、聞きたかったとなると

結果的にNHKの勝ちでは?

そして金村さんに質問が届いています。

在日コリアン、在日朝鮮人、いろいろ呼び方がありますが

金村さんの拘りはありますか

<金村>

私は在日コリアンていう言葉ですね、

なんでかって言うと、まあ日本国籍っていう言葉を使っているのは

いわゆる在日コリアンって言われている人たちが

韓国籍朝鮮籍を持っている人たちしか

想定されていないわけですよ

で在日コリアンという言葉は私、大学時代から使い始めているんで

すけどま、変な話、在日コリアンもですね他の民族と同じである

種、作られた存在なんですよね

でじゃあ誰が作ったのかというと、

日本とアメリカのまあ占領政策ですねによって、私たちはこう

いまここに住んでいるんだと言うことを

まあ私はその意味を込めて、在日コリアンという言葉を私は使って

いますね。

<アナウンサー>

はーい

一旦ここでコマーシャルをはさみまして

発信する側だけでなくてですね、受け手の側にも問題があるのかも

しれない

そういう指摘があります。

この話進めます。


1945ひろしまタイムライン」

広島を舞台に戦中から戦後の復興をを生き抜いてきた実在する人物

の日記、インタビューを元に、当時の日付と同じ日に発信していくという企画です。

 

登場人物は三人。

 

当時32歳、地元新聞の記者として戦争を報じてきた一郎さん。

729日 一体何度目なのか、連日の呉空襲。報告がなく被害の

全容が分からない。

 

結婚二年目。夫が戦争に出征している26歳のやすこさん。お腹には

初めての赤ちゃんが。

730日。今夜は戌の日の帯祝いをしていただきました。どうか

元気な赤ちゃんが生まれますように。

 

そして広島から離れ、郊外の農園に疎開していた中学一年、13歳の

男の子、シュン

84日、何と86日に広島へ発って8日に帰寮せよとのことだ

 朝飯がのどに使えるぐらいの喜びだ。」

 

三者三様に呟く戦時下のリアルに多くのフォロアーが共感。

 

特に86日。広島に原爆が投下される日が近づくにつれ、何が起

きるかを知る現代のフォロワーたちから身の安全を気に掛ける声

が急増。

  一郎「爆発したっ!、何か」

  やすこ「ものすごい光、地響き、家が揺れて」

  シュン「あれは広島か? 家、学校、父ちゃん母ちゃん」

 

 「逃げて!シュンくん行っちゃだめ!

 「お腹の赤ちゃんを守って・・・!

まるで当時と同じ時間を共有しているような感覚に

この日のツイートには合わせて7000件以上のリプライが届き

大きな反響を呼びました。

 

しかし820日のツイートを発端に空気は一転

 

それは当時13歳のシュンがつぶやいたこんなツイートでした。

 シュン「朝鮮人だ!!

     大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、

     列車に乗り込んでくる!

 

終戦直後の混乱の中、広島を離れ埼玉の秩父へ移動していた列車の

中でみた光景を呟きました。

 

ところが、

 

 「差別先導です!すぐに削除して!

 「これヘイトでしょ。」

 「当時の価値観だからといって書いていいの?

  (ツイートの画像ではなく、画面に文字画像)

 

と、"人種差別を助長している"として批判が続出。

当該ツイートの削除を求める声も上がりました。

率直に言うとありえないな、と

ショックだとか、怒りだとかいう前に

何をやらかしてくれたんだっていう

金村詩恩さん 28歳 (フリーライター)

埼玉で生まれ育った日本国籍の在日コリアン3世です。

なんで注釈がないんだろうな、と

NHKという非常に影響力の大きいところが

誤解を生むと言うか、

NHKだってこういう風に言ってるじゃないかということで

またこう広がりをみせていく

で、広がりを見せることによって何が起こるかというと

また差別的な言動をする人たちが当然増えてくる

「在日コリアンは差別されて当たり前なんだ」という

ですね。

そういう人たちがまた増えてくるんじゃないかという危惧

ネット上での過激な発言

その増長に繋がってしまうのではないかと不安視しています。

 

一方で、

当時の言葉までは変えられない、知ることが大事では

歴史を修正すべきじゃない!

過去の声であって今に向けた言葉じゃない

  (画面に絵と文字画像)

と、当該ツイートへの批判に真っ向から対立する意見も

 

この企画を主催したNHK広島放送局は

被爆された方々の手記やインタビュー取材に基づいて掲載した

 

とした上で

十分な説明なしに発信することで、現代の視聴者のみなさまがどの

ように受け止めるかについての配慮が不十分だったと考えていま

と説明

 

そんな中一部の報道ではシュンのモデルとされる男性と意見が食

い違っているなど問題が複雑化しています。

 

しかし、そもそも歴史、史実を伝えるために配慮はどこまで必要か

どこまで表現を変えることは許されるのか

歴史をどう伝えていくべきなのか考えます

 

<アナウンサー>

小藪さんいかがですか

<小藪>

あのこのツイッターのやろうとしていたことは

NHK側というんですか、その人らがやろうとしていたのは

別にヘイトや差別を増長しようという気持ちなんてのは、まあたぶ

んおそらくですけど、微塵もなかったと思います

<アナウンサー>

そうですね

<小藪>

今この2020年でツイッターでワーワーワーワー言うたりしている

ことすごい2020年が大変な年みたいに思ってるけど、

いやあの時もしツイッターあったらもっと無茶苦茶になってて、

今俺らが騒いでいることなんこんなことであって

あのときツイッターあったらもっとすごかったんよ、とか

戦争の経験をされている方、また広島の経験をされている方々の気

持ちなんてのを今の若者に伝えるなんて大義名分は素晴らしいと

思うですけど

ただ在日の方々に対する僕らが差別意識があった、

今もあるんじゃないかとか

今はもうない、当時もなかった、なんかいろいろありますけど、ま

そういう風なことについて

わりとがっちり向き合って、僕ら日本人全員が答えを出そうと、

メディアも含め能動的にしてこなかった部分があるというか、

そういうもう言葉はやめておこう、というか考えない、

話題にもしない

なんか言わないことでいいんだ、というか

こう腹くくって向き合ってきた、過去何十年かがないわけじゃない

ですか

<アナウンサー>

はい

<小藪>

その2020年で、

このツイッター

試みはええからいうてそのまま行こうとしたんが、

ぼくはちゃうというか

さき手順として

この在日の方々と、(首を傾げ)ま、話し合うのか

我々としてはもう今は差別の心はないので

過去のことは教訓として言わしてください

みたいなことが

じゃ、いやいやそれはあかん、とか

そんなんがあってあって答え出た状態で

このツイッターをやろう、とかならわかるんですけど

そこはなんていうんですか、をしてた部分が正直あるのに

それはいといて

おれらやろうとしていることはええことやからって、

パーーと行って そのまま

や、これは当時のことなんで、やから

なんか別の問題というか

先こっちの問題が解決した上でこっちへ行って

ツイッターに一文おれ行かなあかんかったと思うんですね

だから一個先にってもうたかなと

いいことやっているというのに

ちょっと、なんですかね、もやがかかって

<アナウンサー>

そうですね、はい

<小藪>

ミスったんかなと思います

でも気持ちはわかりますけどね。

<アナウンサー>

そうですね

まあ改めてどういう問題があったのか

どういうやりようがあったのか含めて話を進めて参ります

ではゲストをご紹介致します。

フリーライターで日本国籍の在日コリアン三世の金村詩恩さんです。

金村さん、どうぞよろしくお願いいたします。

<金村詩恩>

どうぞよろしくお願いします、金村です。

今日はお呼び頂きありがとうございます。

<アナウンサー>

お願いします。今日はVTRでもありがとうございました。

<>

ありがとうございます

<アナウンサー>

そしてもう一方、元北海道議会議員で民族問題について

発信を続けていらっしゃいます小野寺まさるさんです。

小野寺さん、どうぞよろしくお願いいたします。

<小野寺まさる>

はい、どうぞよろしくお願いいたします。

<アナウンサー>

お願いします。

ま、今回テーマを考えるにあたりまして、ま、問題の本質を考える

為に過去に実際に使われた差別表現をこの議論の中で用いる場合

がありますのであらかじめご了承いただければと思います。

では改めて今回の経緯からみていきます

佐藤さんお願いします

<佐藤>

はい、まず問題となったツイートがこちらです。

当時13歳の少年シュン君が広島から埼玉へ移動する列車の中での出

来事をツイートしたものです

朝鮮人だ!!大阪駅で戦勝国となった

朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んてくる!

「俺たちは戦勝国民だ!敗戦国は出て行け!

圧倒的な威力と迫力。怒鳴りながら超満員の

列車の窓という窓を叩き割っていく

このツイートに対して差別を助長している

ヘイトスピーチと変わらないなど

多くの批判が寄せられました

 

<アナウンサー>

うん、まず金村さん、これどんな風にお感じになっていらっしゃい

ますか

<金村>

そうですね。えっと

この当時の時代背景を考えると

えーまあその様々な人がですね、騒擾(ソウジョウ)事件と言われている

ものをまず起こしていたので

そういったことというのはあったのかもしれない

というのが私のファーストインプレッションだったんですね。

<アナウンサー>

はい

<金村>

で、えと、ただですね。

ちょっと表記として見て頂くとわかるんですけど、

例えばその朝鮮人という言い方って、当時はあまりされていなくて

<アナウンサー>

あ、そうなんですか

<金村>

そうなんですよ、あの

勿論その一般的には朝鮮人ではなく鮮人とか例えば半島人とか

えー三国人という言い方をしてたんですよね。

私の祖父もそういう言い方をされたという話を聞きましたけども

であとやっぱり戦勝国民だと出てきますけど

当時あの在日コリアンたちって戦争が終わった後、

自分たちを解放国民だって言ったんですよ

つまりその元々日本というのが植民地にしてしまったとこから

えーアメリカに負けて私たちは解放されたんだ

だから解放国民なんだ言う風に言ってたんですね。

ですので最初にこれ見たときに

うーんちょっと違和感もあったんですよ

<アナウンサー>

なるほど

<金村>

その当時を考えると、

<アナウンサー>

うーん

<金村>

ええ、

でまあ後になってその、実際にこのモデルになった新井俊一郎さん

こういった記述を日記には残してないと聞いて

あの資料にないですね、やっぱ事を書くということは

これは歴史のやっぱ改竄に繋がってしまうんですね

<アナウンサー>

はい

<金村>

ですのでやはりそうしたことをやるっていうのは

ちょっとこ手続きの話

歴史を継承していくという趣旨にも反してしまうのではないかと思

いまして

<アナウンサー>

なるほど不用意な面が見られるということですね。

小野寺さん、いかがですか



  

 やすこのツイート 7/2 7/3 7/19

 

ま、ちょっとこういう内容になっていくんですが

常盤さんこのツイートの文面で何かお感じになりますか

〈常盤〉

ただ戦争にまつわることって笑っちゃいけないみたいな雰囲気があ

るんですけど

こういう風に書いていただけると

すごく身近に感じられて、ちょっとクスッと笑ってしまいますよね

あのこうの 史代さんの夕凪の街とかもそうだったんですけど

くすっと笑える部分があるとすごく身近に感じてなんか本当に

近しい人のつぶやきのような気がしますね

〈華丸〉

とっても昔のことのようだけど本当に現代と置き換えれるし

今で思うと 今だとこういう状況かなというのが すごい想像がつ

きますよね

〈小林〉

まあ近しいっていうのは、おそらくそのお風呂とか、寝ようと思っ

ていたのに

こんなんでとか、日常の言葉が生きていると

〈常盤〉

うーん、私たちもね、地震のアラートが鳴ったりとか、すごいあり

ますものね

〈小林〉

あー、そういうところで

〈大吉〉

似たようなつぶやきがね、よく目にしますけど

今までで、そのお風呂を頂いてきますとか寝ようと思ったのに

そこを飛ばしてそこだけ僕は見てたので、よりこういう言葉が一つ

入ると

なんかより身近に、想像が膨らみますね。

 

〈小林〉

そうですね

で、逆に言うとその身近な生活の言葉の中に、こう警報とか空襲っ

ていう

(配給とかね 華丸さんの声)

戦争の事態というのが日常の中に隣り合わせにあるっていうことも

感じられるのかなという風に思うんですけどもね

そういったやすこさんのつぶやきです。

 

続いてですね

こちら当時13歳だったシュンちゃんのツイートを見ていきます。

シュンちゃんのツイートを作っているのは10代の若者たちなんです

ね。

戦時中の気持ちに迫るのに苦戦していました。

 

  シュンちゃんのツイート 5/9 

 

当時中学一年生だったシュンちゃんのツイート

作っているのは広島に住む10代の若者(画では7名映っている)達で

シュンちゃんが当時どんな気持ちだったのかをさぐる為、

できるだけ日記の出来事を再現しています

 

この日は当時家の床下に掘ったという防空壕作り

日記に書かれたとおり深さ50㎝の穴を掘ってみます

元の日記には

 328

 敵機必襲時局下我々は如何にしても

 防空がうの強化をしなければならぬ

 330

 本日遂に壁も仕上げたり

 父が帰り来りて驚くだろうと思ふと愉快な

 り、最後に床をセメントでぬり固めたり

 (3282930の日記が映し出される) 

父親がいない間に3日かけて防空壕を掘ったことが

書かれていました。

4人で掘り続けること3時間

防空壕を掘りながら75年前のシュンちゃんの気持ちを想像します。

感じたことを元に作ったツイートがこちら

シュン@shun

1945330)

体中いたる所に痛みを感じるが、

嬉しさで全部吹き飛んだ。

父もかえってきたら

びっくりするだろうな。

 しかし、このツイートに異議を唱える人がいました。

「私の態度とは違うわい」

 

元となる日記を75年前に書いた新井俊一郎さんご本人です。

当時のことを若い人たちに理解でしてほしいとツイート

づくりに協力してくれていました。

 

軍国少年の私だったら絶対に使わないような弱弱しい、女々しい言

葉が(ツイートに)出てくるわけよ

「我々は軍国少年」と威張っているわけ

威張っているわけだから張り切っているわけよ

強がっているわけよ

強がっている子供が使う言葉じゃないのが出てくるから

 

新井さんは当時痛みを感じるというような弱音を人前ではくことは

なかった

と指摘しました

小学校でありながらもう軍国少年式の教育が始まります

鉄砲を持って相手をやっつける

鉄砲を撃つなんてことを小学校の頃からもう始めます

教科書の中では、戦争は絶対日本は負けないというのを叩きこまれ

 

〈小林〉

戦時中は子供であっても弱音をはくことが許されず常に日本は強い

と教えられてきました

どうしてそんなことが可能なのか

メンバーの一人さきのさん(16)は、当時学校で暗記させられたと

いう軍人勅諭を書き写してみることにしました

〈さきの〉

これを覚えるって「なに意っとんねん?」みたいな気持ちになった

ですけど

(新井さんは)これも最終的には覚えたと言っていたのでまあすごい

なって

すごいなって、そうさせていた環境がすごいなって思いました

この刷り込み方とか、今の自分の概念ととかもちがうので

全然想像はしていたけど、想像していたよりももっとひどい

 

(しばらく大吉さん、華丸さん、常磐貴子さんで話し合う)

 

〈小林〉

当時の授業ではこんなことも行われていたようです

「この音は何だ」「木村」「はい、・・・(ききとれない)P-40

あります。」

「そうだ」「我々は憎い憎い敵の一機でも寄せつけてはいけない。

や叩き落とすのだ」

敵の爆撃の音を録音したレコードを聴いて聞き分けられるようにす

る授業ですね

さらにこれ、「少年倶楽部」という当時子供たちに人気のあった少

誌なんですけども

ここに兵隊さんに学ぼうというコーナーがありまして、ここですね

兵隊さんに学ぼうってことで、ここは兵隊さんに整理整頓を学ぼう

道具はちゃんと片付けることとか、まあ夜いつでも起きだせるよう

にしておくこととか

日常のあらゆることを兵隊に結びつけて教える

ま授業でも少年誌でもこういう状況にあると

こういう環境で育った俊一郎さんと若者たちの間にずれができるの

も納得できる

ということなんです

これ本当に如何にズレを埋めていくかっての、若者たち頑張ってい

ましたけどね

 

〈華丸〉

導かれてますからね、やっぱその当時は

そういう風に導かれて

 

〈小林〉

そうですね

 

〈華丸〉

ぼくらは平和の方が絶対良い、戦争はダメだっていう方から、いう

教育を

受けてきてますから、どうしてもそれは溝がもちろんありますよね

 

 

〈大吉〉

あとからみるとってところで

でもその渦中にいると

でも実際にね、防空壕を掘って、ちょっと気持ちを感じてみようと

素晴らしいとりくみだと

 

〈常盤〉

あんなちっちゃいんですね

 でもあれ相当時間かかりますね、あの大きさでも

 

〈華丸〉

それを一人で お父さんに内緒で

〈小林〉

お父さんが留守の間にっということでしたね

というふうな取り組みだったわけですけども

 

じゃあシュンちゃんややすこさんのつぶやきというのは

ネット上ではどのように受け止められているのか

その過去と今の自分との結びつきを発見するきっかけに

なったという方もいます

 

 

シュンちゃんのコメントに共感のコメントを付けた人

シュン君に親近感を感じ、シュン君のツイートを毎日読む中で

身近なある人のことを考えるようになったとの事

それは軍医として原爆投下後、広島に入っていた祖父の事

シュンちゃんのツイートをきっかけに戦時中、広島で起こったこと

もっと知りたいと思うようになったとのこと

身近な人とのつながりを意識するようになったという話

 

ツイートをきっかけに身近な人に思いをはせるようになったという

方、他にもいらっしゃいます。

こちら広島市の女性なんですけどれども、ひろしまタイムらライン

にならって祖母の遺品だった1945年の日記を、ご自身でこうやっ

ネット上にアップするようになったということで、まあ恐い存在

で原爆のことをほとんど話、まったく話きいて無かったそうなんで

すが、こうやって毎日日記に向き合う中で

あ、自分のおばあさん、こんな人だったんだ、そして自分の生きて

いる時代は戦争の時代と地続きだったんだということを強く感じる

ようになったと言うことです。

 広島の方からも続々メール頂いてまして

 常盤貴子さんのコメント

 

 

さあこれからシュンちゃんとやすこさんはですね、原爆の惨状を

目の当たりにすることになります。

ここからはですね、この後のつぶやきを少し先取りしてお伝えしま

す。

 

原爆投下から1時間

爆心地から9㎞離れた病院に疎開していたやすこさんの元には怪我

人が次々と運ばれてきます

(194586日 9:40AM)

衣類が・・・裂けて、焦げて、何かぶら下がってる。

(194586日 1:43PM)

看護婦さん、水をください・・・

やかんが空・・・ああ、お茶を汲んでこなきゃ・・・

 一方家族の安否を確認する為市内中心部に向かっていたシュンちゃ

んは生涯忘れられない光景を目にします。

(194586日 3:36PM)

姉妹だろうか?

大火傷でひどく大きく

膨れて、目と口のみが

かすかにへこんだ顔。

小さな手を握り合わせて、

よろよろと歩いている。

(194586日 3:37PM)

しっかりねっ、

しっかりねっ」と妹を

励ましているように

僕には思えた。

(194586日 3:38PM)

人の群れに溶けるように

静かに消えていった。

きっと

いきのびられないだろう。

それでもなんとか

生きて欲しい。

 やすこさんは翌7日、そて8日も被爆者の救護を続けます。

そして9日、こんな気持ちを綴っていました。

(194589)

お腹の赤ちゃんへ悪い

影響を与えただろうと

思うと、泣きたくなる。

このまま何かあって

無事に生まれて

こなかったらどうしょう。

 やすこさんはこの後どうなったのか、それを知る人を訪ねました。

 

北村純子さん、やすこさんのお腹の中にいた娘さんです。

原爆投下の4か月後、純子さんは生まれました。

母の泰子さんは戦後も日記を書き続けていましたが

あの原爆について記すことはほとんど無かったと言います。

(純子さん談)

86日のことを遠ざけていた泰子さん

あの日目にした光景を振り返れるようになったのは何十年もたって

からでした。

(純子さん日記を読む)

45年目の原爆の日で、改めて又あの日を想う。はからずも末期の水

を飲ませてあげたあの少年も俊ちゃんと同じ位の年だったろうに

嘸お母さんに会いたかっただろう。

(純子さん)
「この少年ってのが母の被爆原爆に対することの集約って

言うんですか

  

目の前でなくなった少年

被爆から45年の歳月を経て

泰子さんはやっと言葉に表すことができたのです。

 

ツイートを創るメンバーたちはこれから呟いていく一つ一つ言葉に

泰子さんが抱え続けた想いを込めていきたいと考えています。

「あとから、ほんと長い年月をかけながら 何ていったらいいんだ

ろうね

あ、傷を癒す していったのかな、って考えているので、

この先も泰子さんの人生にずーっと、この日ってのが付きまとって

いるんだっていうことは忘れないで考えていきたいなと思っていま

す。」

 

 

 

〈小林〉

この86日のことをまた日記に詳しく書けるようになったのが45

年もたっていたっていう

この歳月ってどういう風に思いになりますか?(常盤貴子さんに)

 

〈常盤〉

それだけ壮絶な思いをされたということだと思うんですよね。

そんな何年かで語れるような経験ではなかったということを物語っ

ているなあと思うんですよね

で、私あの去年かな、また久しぶりに原爆資料館に行ったんですけ

そこでやっぱり一番感じたのは、広島の人たちが、同じ思いを世界

のどんな場所でもして欲しくないと思っているっていう、その気持

ちがすごく感じられて

もう涙が出て来てしまったんですね。

だからその戦争を体験された方、あの原爆をあの被爆された方々が

見てきたもの、体験してきたものっていうものは、すぐには語れな

いものかもしれないけど私たちはそれを勉強する術はあるので、

それを少しづつ勉強していきたいなってすごくその時に思ったん

ですよね。

〈小林〉

そうですね。

それはまあ86日当日だけではなくて、泰子さんが45年かかった

ように

そのあともそして今も続いている、かかえていらっしゃることなん

ですね。

〈常盤〉

この短い文章の中にそういうことを学んでいくと、また読み取るこ

とができるっていうのはすごく大事なことなのかなって

〈小林〉

でこのやすこさんこと今井泰子さん(当時26)

日記はね明日以降も続いていきます

やはりそのご実家が病院だったということで、被爆で被害を受けら

れた方の救護にあたり続けるということですね。

そして13歳シュンちゃんのモデルになった新井俊一郎さん(当時13)

87日以降ですね、仲の良かった友達の死を次々に知っていくわけ

ですね。

で自分だけ生き残ったことに、こう負い目を感じていらっしゃった

という新井さん

自分の体験を語れるようになるまで、やっぱり50歳過ぎてからだっ

たということです。

 

そしてつぶやきにも次々コメントが寄せられています。

  紹介 沢山掲示されていてその中から5つを紹介

 

いろんなコメントを寄せて下さっております。

でこのツイート、シュンちゃんもやすこさんも明日以降もツイート

続いていきます

よろしければ是非ツイート見てそしてやすこさん、シュンちゃんに

会いに行って頂ければなと思います。

〈大吉〉

ほんとにね、読むだけで苦しい気持ちもありますけど、ほんとにす

ごい思いでこの日記を托されてくれていると思うので、シュンちゃ

んもやすこさんも一郎さんもしっかり受け止めていきたいですね。

 

〈近江〉

あのたくさんメールFAXでもご意見ご感想頂いていますのでまた

後程ご紹介させていただきます

 

はい、ということでここまで小林さんありがとうございました。

 

 

 

 


 〈近江アナウンサー〉

今日86日は広島に原爆が投下されてから75年です。

今日は皆さんと一緒に戦争について考えていきたいと思います。

ゲストをご紹介します。

常盤貴子さんです。

おはようございます。

宜しくお願いします。

 

常盤さんは数多くの戦争について描かれた映画ですとか、あと原爆

についてのドラマにもご出演されてきましたけれども、そういった

作品と向き合うときは戦争についてどんなことを考えながら臨まれ

てますか?

 

〈常盤貴子さん〉

あの、やっぱり戦争のものを扱うドラマとかをやるときは、そのセ

リフをちゃんと、ねえ

その当時の言葉を話さなければいけないので、あの時代背景だった

りとか当時の気持ちを少しでも理解できるように調べたりとかして

なるべく近づけるようにはしているんですけどね

 

 

〈近江〉
今日も熱心に式典の中継の様子ご覧になっていたと・・

〈常盤〉
あ、毎年、はい記念式典はあの

〈近江〉
テレビで

〈常盤〉
はい、しかと受け止めて

一年に一回、自分の中でこう、区切りをつけるというか

でまた、新たに平和を願おうっていうきっかけになる素晴らしい式

典だと思うので

〈近江〉
そうですね

今日そういう一日にしていきたいですね

〈常盤〉
はい

〈小林孝司(アナウンサー?)〉

で今常盤さんもしかと受け止めてとおっしゃっていましたけど

今日はちょっと変わったやり方で戦争について考えていきたいと思

います。

今年広島局がですね、SNSを使ったある取り組みを始めました。

それがこちら「ひろしまタイムライン」というもので、これつぶや

きが載っていますけれど、1945年に実際に書かれた日記をですね、

まあ地元の人たちに協力してもらって今風にアレンジしてもらった

ものを毎日呟いていくという取り組みなんですね。

もし75年前にSNSがあったらどんなことが呟かれれていくのか

想像しながら皆さんもご覧下さい。

やすこ@yasuko

194586日 600AM)

晴れ。

暑くなりそう。

シュン@shun

194586日 640AM)

母校留守部隊への

連絡文書も

しっかり預かった。

いざ、廣島へ!

帰省の時だ!

やすこ@yasuko

194586日 730AM)

警戒警報が解除

されました。

朝から慌ただしい

ことです。

さて、朝食にします。

 

今朝実際にSNSでつぶやかれたツイート

75年前の今日、86

朝の広島の様子です。

そして

(原爆投下の映像)

シュン@shun

194586日 819AM)

なんだあの雲?煙?事故?

やすこ@yasuko

194586日 840AM)

ピンク、紅、空色、紫の濃淡の雲が激しい勢いで

湧きかえっている。いったい何が・・・

やすこ@yasuko

194586日 851AM)

トラックが来てる?

二十名ほど、ガラスで

裂傷を負った方々。

こんなに一度に

来られたら、手当てが

間に合わない。

 

今年3月から始まったこれらのツイート

元になっているのは、75年前に広島で書かれた実際の日記です。

 

その一つ、当時中学一年生だった新井俊一郎さんの日記

43日の日記を見てみると

 朝、朝食後、

 御米を受け取りに弟と共に行けり。

 二十キロほどありれ。

 あまり重くないものなり。

これをツイートにしたのが

シュン@shun

194543)

今日はコメの配給の日である。

20キロ、多少重かったが

弟がいるので

あまり重くないフリをした。

実際、コメの重さより

米を食べられる楽しみが勝り

いつもより重くなかった

かもしれない。

 

日記に基づきながら現代風にそして感情豊かにアレンジされていま

す。

 

出征した夫を待つ26歳新婚のやすこさん(夫と二人で映った写真

今井泰子さん)

その日記を元にしたツイートは

やすこ@yasuko

1945518)

赤ちゃんができました。

やっと一人前になれた様な

気がする。

やすこ@yasuko

1945530)

私へのご褒美なのか

旦那さまからお手紙が来ました。

何度も何度も

繰り返し読んでいます。

 

妊娠の喜び、そして夫を待ちわびる気持ちが綴られていました。

東京に住む松上なごみさん(仮名)は

こうしたツイートを毎日受け取ることで75年前広島に生きた人々が

身近に感じられるようになったと言います。

大好きな旦那様から「お手紙が来た」ということ、とっても喜んで

いる内容とか

そうですよね、75年前という感じはしないですね。

こういう風にやすこさんの毎日、日常を毎日を見ているので

日々の家事だとか仕事のおつかいだとか、日常もよく分かりますし

共感持てますね。

 

〈小林〉
そして日々の暮らしが
86日の原爆投下でどう変わって
しまうのか

近づくにつれ気になってきたと言います

 

毎日こうして続いているツイッターの何気ない日々の投稿が

86日を境にどうなってしまうのか

やすこさんの赤ちゃんが無事に生まれるのかどうか

生まれてからどんな生活になるのか

祈るような気持ちで見守っています。

 

もし75年前に今のようなSNSがあったら

今日は戦時中の人々がどんな思いで日々を暮らしていたのか

つぶやきからみんなで考えていきます。

 

そして時刻は858分をまわりました、まもなく59分というとこ

ですが

ま広島に原爆が投下された815分からまもなく45分になるとこ

ろですね。

今もつぶやきが続いています。

 

 シュンちゃんのツイート

 沢山のコメントが寄せられること、その内容

 

 

 

〈小林〉

こうしたSNSを使った取り組み、SNSでこう戦争のことを伝えて戦争のことを知っていこうという取り組み、これどう言う風に

ご覧になりました?(常盤貴子さんに)

 

〈常盤〉

あのう、SNSって悪いことをけっこう言われることが多いですけど

こういう今を感じられるものを使うことによって

多くの人たちが忘れ去られようとしているその思いを

ちゃんと引き戻すことができるって素晴らしいものでもあるなと改

めて思いますね。

一番怖いのはやっぱり風化してしまうことだと思うので

それを自分事として他人事ではなく感じられるというのは

本当に素晴らしい機会だと思いますね。

 

〈近江〉

華丸さんいかがですか

〈華丸〉

僕もやっぱり小学校の時に、やっぱりその図書館で「はだしの

ゲン」を読んだときに

やっぱりその漫画なんで入り易かったですよね

入り易いって言い方悪いですけど

やっぱり実感がわくというか文章ではなく

やっぱ今こういうツールがあってツールにはなじんでいる訳じゃな

いですか

なじんだところから、やっぱこのその戦争の、

体験というか、そういうことが歴史が実感がわくんじゃないかなと

うーん、やっぱりリアルですよね。

〈大吉〉

どれもね、実話というか。実際に残された日記をベースに書かれて

いるので

やっぱあの終戦の年ですけど、ぎりぎりまで本当に日常生活、

皆さん送ってたんだなあっていうのが

これをとおしてわかるんで、よりなんかね、リアリティが うん

〈近江〉

伝わってきますよね

皆さんからもひろしまタイムラインへの感想やご意見お待ちしてい

ます。

また皆さんが遠い過去になりつつある戦争について知ったり

子供たちに伝えるためにどんな工夫をしているか

何かいい方法などありましたら是非そちらもエピソード

メールやFAXでお寄せください

()

〈大吉〉

引き続きあさイチです。

〈近江〉

今日は広島に原爆が投下されて75年となりました。

当時広島に住んでいた人の日記を元にしたツイッターの

ひろしまタイムラインをとおして戦時下の暮らしや戦争について

考えていきます。

先程もつぶやき、つぶやかれていましたね。10分ほど前も

〈小林〉

そうですね、どんどん更新されていますが

あらためてひろしまタイムライン、おさらいしますね。

 

 アカウント3

 泰子さんのつぶやき(当時)26歳だった今井泰子さんの日記を元

 に作られています。

 泰子さんの日記をツイートにしているのは広島に住む

 20代から30代の女性たち


常盤貴子さんのコメント

東京都の女性の送ってきた感想

 

〈近江〉

日記を読むとすごくそのリアルにより感じられる感じがしますね、

大吉さん。

〈大吉〉

新たな発見があると言うか、本当にギリギリまで普通の生活を

勝手にね、もう押し迫った時期だと僕らも歴史で学んでいるので

それどころじゃないんじゃないかと勝手に思いこんでいましたけど

実際残された日記だと嬉しい気持ちがあったりだとか

〈小林〉

そうですね

そこに今の人たちが共感しているということなんですけど

この後やすこさんの日記の内容なんですが

戦況が悪化していくにつれてちょっと変化していくんですね。


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