多くの日本人が心躍った寿ぎの『即位礼正殿の儀』の翌日
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即位礼政教分離に違反と主張 キリスト教団体が会見(共同通信 ...

即位礼「政教分離に違反」と主張 キリスト教団体が会見    10/21() 20:57配信

 

 何だろう!!

 とても不愉快な気持ちになった!!

 

自分の気持ちの中に出来沸わいたモヤモヤの原因を探ってみたい

もちろん私は法律のことは分らないし、宗教についても詳しいわけ

ではない

でもそれなりに、その程度の人間にも理解でき、反論できる何かを

見つけたいと思う


キリスト教の人たちのことが理解できない私が問題なのか

あるいは私のような日本人のことを理解できない彼らが問題なのか

私が過去気になった「信教の自由の裁判」について思い出してみた


【裁判】


キリスト教系の人による裁判を
始めて耳にしたのは、たしか40年ぐらい前
殉職された自衛官の妻の訴えだった

宗教は人の心を正しく導く為のもの
と考えていた当時の私にとって
宗教の違いが
たとえ夫婦であっても敵になりえることが意識された時だった

亡くなった元自衛官の方も
妻と共にキリスト教の洗礼を受けているので
護国神社に合祀されたのでは共に天国で一緒になれない
というような内容だったと記憶している

当時私が思ったのは、
夫は自衛隊に所属していた以上
護国神社に合祀されることは当然理解していた筈
妻の求めに応じてキリスト教に改宗したとしても
もし生前本心からの改宗であったのなら
当然周囲に希望を述べなんらかの対策を講じていたのではないか
裁判は夫亡き後の、夫の意に反した
妻の自己中心的な訴えではなかったのかと思った

今、Wikiを見ても、その感想は変わらない
勿論、これは傍観者である私の感想にすぎないし
訴えた方を責める意図もないのだが
宗教はこれほど人を我欲の塊にするのか
争いの原因になり得るのかと悲しく違和感を覚えた最初である

ただ、この裁判は、あくまでも元自衛隊員の妻が
自らの信仰の趣旨にそった祀られ方でないと問うた裁判である

自衛官護国神社合祀事件 - Wikipedia



さて、次に記憶にあ

るのはエホバの証人による二つの裁判である

神戸高専剣道実技拒否事件 - Wikipedia

エホバの証人輸血拒否事件 - Wikipedia



これは「日本の一般的な社会通念とは違う独自の宗教教義に忠実に
従う宗教者」の宗教権利を訴える裁判であり、彼らとたまに接触の
あった私にとってもかなりショックな裁判であったが
それでも「これが信教の自由を求める」ということなのかと思った
信教の自由を求める人々に対して
日本の裁判所は信教の自由を保障したのである 

これらの訴えと比較して、

今回のキリスト教各団体の訴えは

一連の儀式の中でも特に1114日からの大嘗祭は天皇を神格化

し宗教色が強いと指摘

「宗教的儀式に国が関与することは国家神道の復活を意味し、信仰

の自由を脅かす」

と訴えたのであって、これはあまりにも、

彼らが暮らすこの日本の歴史と日本人の心に関心を示さず

日本人の一人である私は踏みにじられたと感じたのである。

 

彼らはこの国の中において既に自由に自分たちの宗教活動、信仰生

活を行っている

 
それにも関わらず、この国を、すなわちこの国の多くの人々の心を

えようとするのである


この国に芽生え育った信仰心は
キリスト教のような明確な唯一絶対の創造主が対象ではないが
多くの日本人にとってはまるで空気のように
自然に身に付いた習慣や感受性となって
人々の生活の中に溶け込んでいる神道の心なのだと私は感じている
それは天皇陛下及び皇室の行事とも深くかかわっている
また同時に長い歴史の間に仏教とも集合し
そこで培われたものが日本の文化となっている

キリスト教と日本の信仰文化の違いはそれぞれの宗教の発生した
自然環境の違い
生活環境の違いが大きいと思うが
元々の環境の中にあった
死生観も大きく作用を及ぼしているとも思う

私は宗教家や学者ではなく
素人の平凡な主婦の考えの中ではあるが
この国を訴えられた一人の国民として
この国に暮らす一人の人間として
元々にあるこの国の宗教感やその背景について考えてみたいと思う