2014年09月

ドラマ「花子とアン」が終わりましたね。


ドラマを見ると、色々な感想が湧いてくる。
中でも、蓮子さんのラジオ放送のシーンは圧巻でした。
子供を戦争で失った母親の切実なる訴え。


  先ごろ他界した父の写真を思い出しました。
  数え年16歳で予科練に入隊した父のアルバム。
  2枚の集合写真には薄紙が貼られて、
  苗字と戦死、殉死、特別攻撃隊編入サレル等の文字。


  数えの20歳で終戦。
  この4年間は、今であれば大人と子供の両方が混ざり合った年代です。
  訓練中、落下傘が引っかかって殉死した人があったそうです。
  訓練でも死ぬことがあるんだと思ったそうです。

  私の知る父は、真面目で前向き、歌の好きな、信仰心の厚い人でした。
  しかし、死と隣り合わせの時代を生きた人でもあったのです。


さて「花子とアン」149回では、価値観が180度変わってしまったあの時代の人々を代弁するような朝市の言葉が心を打ちました。
「お国の為に命を捧げることは立派なことだと毎日毎日生徒たちに教えてきた。教え子たちも大勢戦死した。申し訳なくて後悔しても仕切れない」「だけど、償っていくしかない。自分にできることを一生懸命やって償っていくしかないんじゃないか」


ブログを分けました。

ブログ人では、もともと別のブログだったのを、引越しで同一にしたからです。

ブログ人からはもう一度引越ししました。

しかし、『桜庵』からうまく引っ越せないので、コピーしました。

9月15 日分を、このブログ記事の前に入れました。

いわゆる従軍慰安婦問題や吉田調書誤報問題で朝日新聞の社長が記者会見を
行った。
まだまだ問題は残りそうだし、それらについての報道を見聞きするのも勉強になる
のだが、私は素人らしい、違った観察をしてみたい。

私はひねくれているのかも知れない。
 
まだ子供の頃、広島の原爆慰霊祭の頃だと思うが、激しいデモを見てこれが平和を
求める姿なのだろうかと疑問に思った。その有り様は、破壊と憎しみにしか見えなかった。
 
また、護憲、護憲と繰り返す人たちを見ながら、この国に何かあったとき私たちを守る
具体な方法も指示して欲しいと思った。
湾岸戦争前、日本人が人質に取られても尚護憲を主張しながら、何か方法がある筈だ、と
会見する政治家を見ながら、他の政治家の足を引っ張るだけしかできず、具体策がないの
なら、それでも護憲が正義なのなら、あなた方が人質の身代わりになるべきだと思った。
 
いわゆる従軍慰安婦問題が問題となる度に、反対意見を探した。
やっと、三十何年も後になって、朝日新聞はこれを誤報と認めた。

三十数年、新聞社が検証をするのには長すぎではなかろうか。

朝日新聞の動向を見ながら思ったのは、彼らは戦前の軍国主義を否定したいのだろう
が、主張は真逆でも、彼らの取った行動は、あの時代と似ていて少しも民主主義時代
の新聞社の行いとは思えないということである。

                        

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