「明日、ママがいない」を視聴した。
ニュースでいろいろ騒がれているので 第1話をYoutubeの動画サイトで視聴してみた。

 なぜこんなに大騒ぎになるのだろう。

 確かに最初大変誇張されたドラマだとは感じた。しかし、多かれ少なかれドラマとは脚色されたものだ。

 そして見ていくうちに、しっかりした筋書きがあるのがわかる。

 とてもおませで強くしたたかな子供たちは、現実世界で大人たちの都合に振り回され傷つく子供たちを代弁していく。幼児虐待であったり、大人の都合での子育て放棄であったり。

 もちろん子供を捨てる大人には大人の切羽詰った理由はある。芦田愛ちゃん演じるポストのせりふには そのことへの理解もある。子供の為にただ親が我慢をすれば良いとは思わないが、それでも子供には言い分があろう。つらさがあろう。それが代弁されていく。

 いわくありげな佐々木(三上博史)も、その表現は乱暴だが言い分には理解できるものがある。

 まだ1回目を視聴しただけだが、今の社会に潜む様々な問題に子供の目線から切り込んだ作品だという感想を持った。この作品には愛情が感じられると思った。それが必ず全作品を見終わった時に、視聴者の心を変化させる作品に仕上がることを信じるものである。

 赤ちゃんポストの創設者や児童養護施設の方が、預けられた子供たちの心を思いやることは理解できる。子供たちがとてもデリケートであることも想像できる。

 しかし、大人たちはこの作品の良いところを子供達と一緒に語り合うことはできないだろうか。想像力をたくましくして思いやりを育てることはできないだろうか。

 社会が殺伐としている。

 『訴訟社会』や『モンスターペアレント』などという言葉からは久しいが、少数クレームであってもCMを中止にしたなど最近のインターネット社会での企業の対応は異常とさえ感じられる。

 もっと、もっと人が人を思いやる社会でなくては、と思います。

 でもそれはオブラードにくるんだような優しい表現、優しい物腰だけでできるものではありません。むしろその奥の本来の心が排他的だったり、他人に厳しかったりでは直ぐにボロが出ます。その、人の心の奥底に眠る優しい心を呼び起こすドラマを大事にして、そのドラマが訴える人間性を尊び、まだ未成熟な子供たちには噛み砕いて教えるのも大人の努めではないでしょうか?勿論、見せない、という方法もありますが、みんなでボイコットして放送中止なんてことは、絶対間違っていると思います。