私たちはこの半年間の危機を通して

いや未だ終わってはいないこの危機をじっくり見直して

この国をあるべき本来の姿に

戻さなければならないのではないでしょうか

 

誰もが今の自分の生活が

これまでどおりに平穏に続くことを願います。

 

しかし、この平穏が実は、あってはならない間違った事実の上に積

み重ねてきたものだとすれば

いつかグラグラ崩れ去るのは当たり前なのだということに目を向け

るべきではないでしょうか。

 

私はチベットやウィグル、モンゴルの悲惨な状況を知るたびに、

ここまで彼らを大きな苦しみに追い込んだのは日本にも責任の一端

があるのではないかと感じてしまうのです。

もちろん加害者となってという意味ではありません。

見過ごしてしまったという意味です。

いや認めたことにさえなっていたのかもしれません。

今のウィグル等の状態を考えれば、もし臓器移植などに日本がかか

わりを持っていたとすれば、その罪さえ共有していることになりか

ねません。

 

それはかつて若い僧侶が二人、チベットの人たちの苦難について訴

えてテレビに出たことがあったからです。その後、ツイッターをす

るようになって後、同じ動画を見たこともあります。

その時日本の仏教界が彼らの言動を支持していれば、世の中はもう

少し動いていたのではないか、そんな気がするのですが、仏教界が

かかわってくれないので二人でテレビで訴えたというような内容だ

ったと記憶しています。


日本人が少しでも早くこの残酷さを共有できていれば、世の中は

少しはちがったのではないかでしょうか。

かつて水平社創立の頃から、国民懺悔の立場から融和運動を提唱し

1924年に結成された本願寺派(西本願寺)の融和事業団体一如会の会

長を務め後参議院議員にもなった梅原真隆のような方もいらしたわ

けですから、この残虐な行為に少しでも注意を払っていれば、なに

かの抑止力になったのではないかという気がしているのです。

そののち両国の深いかかわりで経済が繋がっていった以上、われわ

れ日本人がこの悪行に全く関わりがないと言えない心の負い目を背

負った気がするのは私だけでしょうか。

良い意味に解釈すれば、相手国がそのような非人道的な行いをする

はずがないと考えたのかもしれませんが、今からでも遅くはないと

思います。

むしろ人の心を正しく導こうとする宗教界こそが、こうした悪意あ

る行為にハッキリした意思表示を求めたいと思うのです。

 

私には大学の経営ということはわかりません。

ただ、龍谷大学は、私世代の人間にすれば、西本願寺の経営であり

お寺の跡継ぎ、門徒の熱心な子息や子女たち、そうした人たちの縁

ある大学という認識でした。

私が「無量寿経」や浄土真宗の知識を得ようと検索するうちに『親

鸞会』を脱会した方のブログを読んで驚いたのは、このカルトと

も言われる「親鸞会」が龍谷大学、大谷大学という浄土真宗系の大

学学内で勧誘が行われたということでした。しかし、考えてみれば

宗祖親鸞聖人を頂く浄土真宗系の大学だからこそ関心を呼ぶことが

できたのでしょう。

今は「龍谷大学」を調べても宗教色はあまり感じませんが、やはり

そこには浄土真宗に関わりのある方、関心のある方も在籍している

のではないでしょうか。仏教学部というのはないようですが、文学

部の中にあるようです。

また、調べ物をしているときに参考にした「ウィキアーク(WikiArc.wikidharma.org)は西本願寺系の管理だと思うのですが、龍谷大学とは無関係なのでしょうか。

ですので龍谷大学と無縁の私ですが、深い関心があります。

しかし、その理事を福山哲郎さん立民・福山幹事長がされているこ

とを知り、少し驚きました。国会でのお人柄を考えたとき、日本人

の精神性の主流でもある浄土真宗の学問の源流ともいえる大学の理

事をされている。

このことに違和感をおぼえたのです。これはきっと私の偏見でしょ

う。

     ?なっかー??@c9moy60GuFINmG1

えっと

日本国民が新型肺炎に不安を持ってた時に国会で桜桜いってま

したよね?

今も桜桜言ってますよね?

スタートを遅らせたご本人が何いってるの?

↓↓

立民・福山幹事長、新型肺炎の政府対応「スタート遅れたので

は」

https://www.sankei.com/politics/news/200218/plt2002180054-n1.html@Sankei_newsから

氏の国会でのお人柄は大学の理事を務められるお人柄とは違うのか

もしれません。他の大学でも理事や、教授をされていますし。

ではなおさら、日本の仏教界が世界の醜い闇の部分に眼をむけるよ

うに努力をなさっていただきたいものです。

日本がこのままこの隣国の大罪に目をつぶったまま、なおかつこの

ままかの国に関わりながら経済発展をしていくなどということは、

きっと許されることではないのではなかろうかと考えるからです。

 

 

少し話が変わるのですが、

あるお寺のホームページが消えてしまいました。

『無量寿経』を独学で勉強しているとき、とても良いホームページ

に出会いました。

管理人さんは仏教系の大学は出ていらっしゃらないということでし

たが、たしか、子供さんをなくされた方だったようですが、奥様の

ご実家のお寺を継ぐために専門学校に通われて継がれたというよう

な内容だったと思います。

まさかお寺のホームページがなくなるなどと考えてもいなかったの

で、なにも控えがないのです。

ですがある日、コメント欄に外国の姓の方の怖い書き込みがあった

のでしばらく訪問していなかったのですが、次に訪問したとき「エ

ラー」更に次には「危険なサイトです」、何かそういうサインが出

たのです。今は全く見つかりません。

とても良いホームページだったので残念なのですが、門徒さんや跡

継ぎがいなくなって廃寺になるケースなどもあるようなので事件性

とまでは言えないとも思いますが、日本の仏教界もいろいろ悩まし

いことだなあと感じています。

それだけに、学生時代2年間「歎異抄」を教えを頂いた先生の言葉

が思い出されます。

通常の善悪が時代や支配者の立場によって左右されることがあるが

仏教はそういうものに左右されない不変の真理を求めることだとい

うことです。

戦後30年をまだ迎えていなかった頃の先生の言葉です。女子大生に

車の中に閉じ込められたこともあったそうです。

日本の精神世界の研究者、探求者たちには、是非この国の若い人た

ちの為に、真理を求め続けてもらいたいものです。