やすこのツイート 7/2 7/3 7/19

 

ま、ちょっとこういう内容になっていくんですが

常盤さんこのツイートの文面で何かお感じになりますか

〈常盤〉

ただ戦争にまつわることって笑っちゃいけないみたいな雰囲気があ

るんですけど

こういう風に書いていただけると

すごく身近に感じられて、ちょっとクスッと笑ってしまいますよね

あのこうの 史代さんの夕凪の街とかもそうだったんですけど

くすっと笑える部分があるとすごく身近に感じてなんか本当に

近しい人のつぶやきのような気がしますね

〈華丸〉

とっても昔のことのようだけど本当に現代と置き換えれるし

今で思うと 今だとこういう状況かなというのが すごい想像がつ

きますよね

〈小林〉

まあ近しいっていうのは、おそらくそのお風呂とか、寝ようと思っ

ていたのに

こんなんでとか、日常の言葉が生きていると

〈常盤〉

うーん、私たちもね、地震のアラートが鳴ったりとか、すごいあり

ますものね

〈小林〉

あー、そういうところで

〈大吉〉

似たようなつぶやきがね、よく目にしますけど

今までで、そのお風呂を頂いてきますとか寝ようと思ったのに

そこを飛ばしてそこだけ僕は見てたので、よりこういう言葉が一つ

入ると

なんかより身近に、想像が膨らみますね。

 

〈小林〉

そうですね

で、逆に言うとその身近な生活の言葉の中に、こう警報とか空襲っ

ていう

(配給とかね 華丸さんの声)

戦争の事態というのが日常の中に隣り合わせにあるっていうことも

感じられるのかなという風に思うんですけどもね

そういったやすこさんのつぶやきです。

 

続いてですね

こちら当時13歳だったシュンちゃんのツイートを見ていきます。

シュンちゃんのツイートを作っているのは10代の若者たちなんです

ね。

戦時中の気持ちに迫るのに苦戦していました。

 

  シュンちゃんのツイート 5/9 

 

当時中学一年生だったシュンちゃんのツイート

作っているのは広島に住む10代の若者(画では7名映っている)達で

シュンちゃんが当時どんな気持ちだったのかをさぐる為、

できるだけ日記の出来事を再現しています

 

この日は当時家の床下に掘ったという防空壕作り

日記に書かれたとおり深さ50㎝の穴を掘ってみます

元の日記には

 328

 敵機必襲時局下我々は如何にしても

 防空がうの強化をしなければならぬ

 330

 本日遂に壁も仕上げたり

 父が帰り来りて驚くだろうと思ふと愉快な

 り、最後に床をセメントでぬり固めたり

 (3282930の日記が映し出される) 

父親がいない間に3日かけて防空壕を掘ったことが

書かれていました。

4人で掘り続けること3時間

防空壕を掘りながら75年前のシュンちゃんの気持ちを想像します。

感じたことを元に作ったツイートがこちら

シュン@shun

1945330)

体中いたる所に痛みを感じるが、

嬉しさで全部吹き飛んだ。

父もかえってきたら

びっくりするだろうな。

 しかし、このツイートに異議を唱える人がいました。

「私の態度とは違うわい」

 

元となる日記を75年前に書いた新井俊一郎さんご本人です。

当時のことを若い人たちに理解でしてほしいとツイート

づくりに協力してくれていました。

 

軍国少年の私だったら絶対に使わないような弱弱しい、女々しい言

葉が(ツイートに)出てくるわけよ

「我々は軍国少年」と威張っているわけ

威張っているわけだから張り切っているわけよ

強がっているわけよ

強がっている子供が使う言葉じゃないのが出てくるから

 

新井さんは当時痛みを感じるというような弱音を人前ではくことは

なかった

と指摘しました

小学校でありながらもう軍国少年式の教育が始まります

鉄砲を持って相手をやっつける

鉄砲を撃つなんてことを小学校の頃からもう始めます

教科書の中では、戦争は絶対日本は負けないというのを叩きこまれ

 

〈小林〉

戦時中は子供であっても弱音をはくことが許されず常に日本は強い

と教えられてきました

どうしてそんなことが可能なのか

メンバーの一人さきのさん(16)は、当時学校で暗記させられたと

いう軍人勅諭を書き写してみることにしました

〈さきの〉

これを覚えるって「なに意っとんねん?」みたいな気持ちになった

ですけど

(新井さんは)これも最終的には覚えたと言っていたのでまあすごい

なって

すごいなって、そうさせていた環境がすごいなって思いました

この刷り込み方とか、今の自分の概念ととかもちがうので

全然想像はしていたけど、想像していたよりももっとひどい

 

(しばらく大吉さん、華丸さん、常磐貴子さんで話し合う)

 

〈小林〉

当時の授業ではこんなことも行われていたようです

「この音は何だ」「木村」「はい、・・・(ききとれない)P-40

あります。」

「そうだ」「我々は憎い憎い敵の一機でも寄せつけてはいけない。

や叩き落とすのだ」

敵の爆撃の音を録音したレコードを聴いて聞き分けられるようにす

る授業ですね

さらにこれ、「少年倶楽部」という当時子供たちに人気のあった少

誌なんですけども

ここに兵隊さんに学ぼうというコーナーがありまして、ここですね

兵隊さんに学ぼうってことで、ここは兵隊さんに整理整頓を学ぼう

道具はちゃんと片付けることとか、まあ夜いつでも起きだせるよう

にしておくこととか

日常のあらゆることを兵隊に結びつけて教える

ま授業でも少年誌でもこういう状況にあると

こういう環境で育った俊一郎さんと若者たちの間にずれができるの

も納得できる

ということなんです

これ本当に如何にズレを埋めていくかっての、若者たち頑張ってい

ましたけどね

 

〈華丸〉

導かれてますからね、やっぱその当時は

そういう風に導かれて

 

〈小林〉

そうですね

 

〈華丸〉

ぼくらは平和の方が絶対良い、戦争はダメだっていう方から、いう

教育を

受けてきてますから、どうしてもそれは溝がもちろんありますよね

 

 

〈大吉〉

あとからみるとってところで

でもその渦中にいると

でも実際にね、防空壕を掘って、ちょっと気持ちを感じてみようと

素晴らしいとりくみだと

 

〈常盤〉

あんなちっちゃいんですね

 でもあれ相当時間かかりますね、あの大きさでも

 

〈華丸〉

それを一人で お父さんに内緒で

〈小林〉

お父さんが留守の間にっということでしたね

というふうな取り組みだったわけですけども

 

じゃあシュンちゃんややすこさんのつぶやきというのは

ネット上ではどのように受け止められているのか

その過去と今の自分との結びつきを発見するきっかけに

なったという方もいます

 

 

シュンちゃんのコメントに共感のコメントを付けた人

シュン君に親近感を感じ、シュン君のツイートを毎日読む中で

身近なある人のことを考えるようになったとの事

それは軍医として原爆投下後、広島に入っていた祖父の事

シュンちゃんのツイートをきっかけに戦時中、広島で起こったこと

もっと知りたいと思うようになったとのこと

身近な人とのつながりを意識するようになったという話

 

ツイートをきっかけに身近な人に思いをはせるようになったという

方、他にもいらっしゃいます。

こちら広島市の女性なんですけどれども、ひろしまタイムらライン

にならって祖母の遺品だった1945年の日記を、ご自身でこうやっ

ネット上にアップするようになったということで、まあ恐い存在

で原爆のことをほとんど話、まったく話きいて無かったそうなんで

すが、こうやって毎日日記に向き合う中で

あ、自分のおばあさん、こんな人だったんだ、そして自分の生きて

いる時代は戦争の時代と地続きだったんだということを強く感じる

ようになったと言うことです。

 広島の方からも続々メール頂いてまして

 常盤貴子さんのコメント

 

 

さあこれからシュンちゃんとやすこさんはですね、原爆の惨状を

目の当たりにすることになります。

ここからはですね、この後のつぶやきを少し先取りしてお伝えしま

す。

 

原爆投下から1時間

爆心地から9㎞離れた病院に疎開していたやすこさんの元には怪我

人が次々と運ばれてきます

(194586日 9:40AM)

衣類が・・・裂けて、焦げて、何かぶら下がってる。

(194586日 1:43PM)

看護婦さん、水をください・・・

やかんが空・・・ああ、お茶を汲んでこなきゃ・・・

 一方家族の安否を確認する為市内中心部に向かっていたシュンちゃ

んは生涯忘れられない光景を目にします。

(194586日 3:36PM)

姉妹だろうか?

大火傷でひどく大きく

膨れて、目と口のみが

かすかにへこんだ顔。

小さな手を握り合わせて、

よろよろと歩いている。

(194586日 3:37PM)

しっかりねっ、

しっかりねっ」と妹を

励ましているように

僕には思えた。

(194586日 3:38PM)

人の群れに溶けるように

静かに消えていった。

きっと

いきのびられないだろう。

それでもなんとか

生きて欲しい。

 やすこさんは翌7日、そて8日も被爆者の救護を続けます。

そして9日、こんな気持ちを綴っていました。

(194589)

お腹の赤ちゃんへ悪い

影響を与えただろうと

思うと、泣きたくなる。

このまま何かあって

無事に生まれて

こなかったらどうしょう。

 やすこさんはこの後どうなったのか、それを知る人を訪ねました。

 

北村純子さん、やすこさんのお腹の中にいた娘さんです。

原爆投下の4か月後、純子さんは生まれました。

母の泰子さんは戦後も日記を書き続けていましたが

あの原爆について記すことはほとんど無かったと言います。

(純子さん談)

86日のことを遠ざけていた泰子さん

あの日目にした光景を振り返れるようになったのは何十年もたって

からでした。

(純子さん日記を読む)

45年目の原爆の日で、改めて又あの日を想う。はからずも末期の水

を飲ませてあげたあの少年も俊ちゃんと同じ位の年だったろうに

嘸お母さんに会いたかっただろう。

(純子さん)
「この少年ってのが母の被爆原爆に対することの集約って

言うんですか

  

目の前でなくなった少年

被爆から45年の歳月を経て

泰子さんはやっと言葉に表すことができたのです。

 

ツイートを創るメンバーたちはこれから呟いていく一つ一つ言葉に

泰子さんが抱え続けた想いを込めていきたいと考えています。

「あとから、ほんと長い年月をかけながら 何ていったらいいんだ

ろうね

あ、傷を癒す していったのかな、って考えているので、

この先も泰子さんの人生にずーっと、この日ってのが付きまとって

いるんだっていうことは忘れないで考えていきたいなと思っていま

す。」

 

 

 

〈小林〉

この86日のことをまた日記に詳しく書けるようになったのが45

年もたっていたっていう

この歳月ってどういう風に思いになりますか?(常盤貴子さんに)

 

〈常盤〉

それだけ壮絶な思いをされたということだと思うんですよね。

そんな何年かで語れるような経験ではなかったということを物語っ

ているなあと思うんですよね

で、私あの去年かな、また久しぶりに原爆資料館に行ったんですけ

そこでやっぱり一番感じたのは、広島の人たちが、同じ思いを世界

のどんな場所でもして欲しくないと思っているっていう、その気持

ちがすごく感じられて

もう涙が出て来てしまったんですね。

だからその戦争を体験された方、あの原爆をあの被爆された方々が

見てきたもの、体験してきたものっていうものは、すぐには語れな

いものかもしれないけど私たちはそれを勉強する術はあるので、

それを少しづつ勉強していきたいなってすごくその時に思ったん

ですよね。

〈小林〉

そうですね。

それはまあ86日当日だけではなくて、泰子さんが45年かかった

ように

そのあともそして今も続いている、かかえていらっしゃることなん

ですね。

〈常盤〉

この短い文章の中にそういうことを学んでいくと、また読み取るこ

とができるっていうのはすごく大事なことなのかなって

〈小林〉

でこのやすこさんこと今井泰子さん(当時26)

日記はね明日以降も続いていきます

やはりそのご実家が病院だったということで、被爆で被害を受けら

れた方の救護にあたり続けるということですね。

そして13歳シュンちゃんのモデルになった新井俊一郎さん(当時13)

87日以降ですね、仲の良かった友達の死を次々に知っていくわけ

ですね。

で自分だけ生き残ったことに、こう負い目を感じていらっしゃった

という新井さん

自分の体験を語れるようになるまで、やっぱり50歳過ぎてからだっ

たということです。

 

そしてつぶやきにも次々コメントが寄せられています。

  紹介 沢山掲示されていてその中から5つを紹介

 

いろんなコメントを寄せて下さっております。

でこのツイート、シュンちゃんもやすこさんも明日以降もツイート

続いていきます

よろしければ是非ツイート見てそしてやすこさん、シュンちゃんに

会いに行って頂ければなと思います。

〈大吉〉

ほんとにね、読むだけで苦しい気持ちもありますけど、ほんとにす

ごい思いでこの日記を托されてくれていると思うので、シュンちゃ

んもやすこさんも一郎さんもしっかり受け止めていきたいですね。

 

〈近江〉

あのたくさんメールFAXでもご意見ご感想頂いていますのでまた

後程ご紹介させていただきます

 

はい、ということでここまで小林さんありがとうございました。

 

 

 

 


 〈近江アナウンサー〉

今日86日は広島に原爆が投下されてから75年です。

今日は皆さんと一緒に戦争について考えていきたいと思います。

ゲストをご紹介します。

常盤貴子さんです。

おはようございます。

宜しくお願いします。

 

常盤さんは数多くの戦争について描かれた映画ですとか、あと原爆

についてのドラマにもご出演されてきましたけれども、そういった

作品と向き合うときは戦争についてどんなことを考えながら臨まれ

てますか?

 

〈常盤貴子さん〉

あの、やっぱり戦争のものを扱うドラマとかをやるときは、そのセ

リフをちゃんと、ねえ

その当時の言葉を話さなければいけないので、あの時代背景だった

りとか当時の気持ちを少しでも理解できるように調べたりとかして

なるべく近づけるようにはしているんですけどね

 

 

〈近江〉
今日も熱心に式典の中継の様子ご覧になっていたと・・

〈常盤〉
あ、毎年、はい記念式典はあの

〈近江〉
テレビで

〈常盤〉
はい、しかと受け止めて

一年に一回、自分の中でこう、区切りをつけるというか

でまた、新たに平和を願おうっていうきっかけになる素晴らしい式

典だと思うので

〈近江〉
そうですね

今日そういう一日にしていきたいですね

〈常盤〉
はい

〈小林孝司(アナウンサー?)〉

で今常盤さんもしかと受け止めてとおっしゃっていましたけど

今日はちょっと変わったやり方で戦争について考えていきたいと思

います。

今年広島局がですね、SNSを使ったある取り組みを始めました。

それがこちら「ひろしまタイムライン」というもので、これつぶや

きが載っていますけれど、1945年に実際に書かれた日記をですね、

まあ地元の人たちに協力してもらって今風にアレンジしてもらった

ものを毎日呟いていくという取り組みなんですね。

もし75年前にSNSがあったらどんなことが呟かれれていくのか

想像しながら皆さんもご覧下さい。

やすこ@yasuko

194586日 600AM)

晴れ。

暑くなりそう。

シュン@shun

194586日 640AM)

母校留守部隊への

連絡文書も

しっかり預かった。

いざ、廣島へ!

帰省の時だ!

やすこ@yasuko

194586日 730AM)

警戒警報が解除

されました。

朝から慌ただしい

ことです。

さて、朝食にします。

 

今朝実際にSNSでつぶやかれたツイート

75年前の今日、86

朝の広島の様子です。

そして

(原爆投下の映像)

シュン@shun

194586日 819AM)

なんだあの雲?煙?事故?

やすこ@yasuko

194586日 840AM)

ピンク、紅、空色、紫の濃淡の雲が激しい勢いで

湧きかえっている。いったい何が・・・

やすこ@yasuko

194586日 851AM)

トラックが来てる?

二十名ほど、ガラスで

裂傷を負った方々。

こんなに一度に

来られたら、手当てが

間に合わない。

 

今年3月から始まったこれらのツイート

元になっているのは、75年前に広島で書かれた実際の日記です。

 

その一つ、当時中学一年生だった新井俊一郎さんの日記

43日の日記を見てみると

 朝、朝食後、

 御米を受け取りに弟と共に行けり。

 二十キロほどありれ。

 あまり重くないものなり。

これをツイートにしたのが

シュン@shun

194543)

今日はコメの配給の日である。

20キロ、多少重かったが

弟がいるので

あまり重くないフリをした。

実際、コメの重さより

米を食べられる楽しみが勝り

いつもより重くなかった

かもしれない。

 

日記に基づきながら現代風にそして感情豊かにアレンジされていま

す。

 

出征した夫を待つ26歳新婚のやすこさん(夫と二人で映った写真

今井泰子さん)

その日記を元にしたツイートは

やすこ@yasuko

1945518)

赤ちゃんができました。

やっと一人前になれた様な

気がする。

やすこ@yasuko

1945530)

私へのご褒美なのか

旦那さまからお手紙が来ました。

何度も何度も

繰り返し読んでいます。

 

妊娠の喜び、そして夫を待ちわびる気持ちが綴られていました。

東京に住む松上なごみさん(仮名)は

こうしたツイートを毎日受け取ることで75年前広島に生きた人々が

身近に感じられるようになったと言います。

大好きな旦那様から「お手紙が来た」ということ、とっても喜んで

いる内容とか

そうですよね、75年前という感じはしないですね。

こういう風にやすこさんの毎日、日常を毎日を見ているので

日々の家事だとか仕事のおつかいだとか、日常もよく分かりますし

共感持てますね。

 

〈小林〉
そして日々の暮らしが
86日の原爆投下でどう変わって
しまうのか

近づくにつれ気になってきたと言います

 

毎日こうして続いているツイッターの何気ない日々の投稿が

86日を境にどうなってしまうのか

やすこさんの赤ちゃんが無事に生まれるのかどうか

生まれてからどんな生活になるのか

祈るような気持ちで見守っています。

 

もし75年前に今のようなSNSがあったら

今日は戦時中の人々がどんな思いで日々を暮らしていたのか

つぶやきからみんなで考えていきます。

 

そして時刻は858分をまわりました、まもなく59分というとこ

ですが

ま広島に原爆が投下された815分からまもなく45分になるとこ

ろですね。

今もつぶやきが続いています。

 

 シュンちゃんのツイート

 沢山のコメントが寄せられること、その内容

 

 

 

〈小林〉

こうしたSNSを使った取り組み、SNSでこう戦争のことを伝えて戦争のことを知っていこうという取り組み、これどう言う風に

ご覧になりました?(常盤貴子さんに)

 

〈常盤〉

あのう、SNSって悪いことをけっこう言われることが多いですけど

こういう今を感じられるものを使うことによって

多くの人たちが忘れ去られようとしているその思いを

ちゃんと引き戻すことができるって素晴らしいものでもあるなと改

めて思いますね。

一番怖いのはやっぱり風化してしまうことだと思うので

それを自分事として他人事ではなく感じられるというのは

本当に素晴らしい機会だと思いますね。

 

〈近江〉

華丸さんいかがですか

〈華丸〉

僕もやっぱり小学校の時に、やっぱりその図書館で「はだしの

ゲン」を読んだときに

やっぱりその漫画なんで入り易かったですよね

入り易いって言い方悪いですけど

やっぱり実感がわくというか文章ではなく

やっぱ今こういうツールがあってツールにはなじんでいる訳じゃな

いですか

なじんだところから、やっぱこのその戦争の、

体験というか、そういうことが歴史が実感がわくんじゃないかなと

うーん、やっぱりリアルですよね。

〈大吉〉

どれもね、実話というか。実際に残された日記をベースに書かれて

いるので

やっぱあの終戦の年ですけど、ぎりぎりまで本当に日常生活、

皆さん送ってたんだなあっていうのが

これをとおしてわかるんで、よりなんかね、リアリティが うん

〈近江〉

伝わってきますよね

皆さんからもひろしまタイムラインへの感想やご意見お待ちしてい

ます。

また皆さんが遠い過去になりつつある戦争について知ったり

子供たちに伝えるためにどんな工夫をしているか

何かいい方法などありましたら是非そちらもエピソード

メールやFAXでお寄せください

()

〈大吉〉

引き続きあさイチです。

〈近江〉

今日は広島に原爆が投下されて75年となりました。

当時広島に住んでいた人の日記を元にしたツイッターの

ひろしまタイムラインをとおして戦時下の暮らしや戦争について

考えていきます。

先程もつぶやき、つぶやかれていましたね。10分ほど前も

〈小林〉

そうですね、どんどん更新されていますが

あらためてひろしまタイムライン、おさらいしますね。

 

 アカウント3

 泰子さんのつぶやき(当時)26歳だった今井泰子さんの日記を元

 に作られています。

 泰子さんの日記をツイートにしているのは広島に住む

 20代から30代の女性たち


常盤貴子さんのコメント

東京都の女性の送ってきた感想

 

〈近江〉

日記を読むとすごくそのリアルにより感じられる感じがしますね、

大吉さん。

〈大吉〉

新たな発見があると言うか、本当にギリギリまで普通の生活を

勝手にね、もう押し迫った時期だと僕らも歴史で学んでいるので

それどころじゃないんじゃないかと勝手に思いこんでいましたけど

実際残された日記だと嬉しい気持ちがあったりだとか

〈小林〉

そうですね

そこに今の人たちが共感しているということなんですけど

この後やすこさんの日記の内容なんですが

戦況が悪化していくにつれてちょっと変化していくんですね。


#768 TBS「報道特集」がヤラかしたか。

終戦記念日の定期ネタにNHKも75年でキャンペーン参加|

みやわきチャンネル(仮)#908Restart768

 

 

それではみやわきチャンネル()、はっじまるよぉ~ん

はじめましての方もご常連の皆様も IT ジャーナリストの宮脇睦で

よろしくお願いします

 

令和289日情報サイトKSLライブの記事がネットをざわわっ

とさせました

その記事の見出しはこちら

報道特集金平茂紀が原爆投下時の知事諭告を捏造

怯むことなく速やかに各職場に復帰せよ

実際怯むことなく救護復旧の措置

 

これは88日の TBSの報道特集の冒頭で番組キャスターを務める

金平茂紀さんのこちらのコメントが一部をかいつまんだもので

それによって別の意味をもたせているという批判です

実はこの私この番組のこの冒頭のコメントのところ、たまたまオン

タイムオンタイムで見ておりました

そして鼻で、鼻で笑ってしまいました

この日は家族が別荘からトコトコトコって

自宅に戻ってきた日もあって

まあわざわざツイートとかしませんでしたんが

これはネットで定期便のように上がってくるネタ

ネタだからです

86日の広島

89日の長崎

そして815日の終戦の日

この前後になると原爆が投下された当時の広島県知事の発言、

ま諭告というものの一部が切り取られて

戦時中のに日本はとんでもない国でしたと言う

こんな人たちの「オッス、工作員!

的な活動というのはかなり前からネットでは繰り返されてきたこと

なんです

それをテレビでどどーんとやったということは

ある意味エボックメイキング的なことではあります

そしてその金平キャスターのこの

冒頭のコメントとやらをこちらの ksl live さんが紹介している

こちらのツインズママハァー子さんのツイートから紹介したいと思

います

 

原爆投下の日の翌日当時の広島県知事がこう言いました

 

県民主君よ、断じて怯むことなく速やかに各職場に復帰せよ

戦争は1日も休むことはない

 

なんと無慈悲な言葉でしょうか

 

違います原文は救援物資手配や被災者への哀悼もあり奥様も亡くさ

れて・・・

 

と続くのですが TBSキャスターの思惑とは裏腹に

ネットでは無慈悲にファクト、ファクトが発掘されておりました

 

さてそれでは原文はどうだったのかさっそくググってみるとウキペ

ディアウキペディアに当時の広島県知事の人物とその発言があり

ましたのでそちらを紹介したいと思います

 

まず諭告とは、つまりお話しされた方はこちらの高野 源進(たかの

げんしん)さんで

日本の内務官僚、弁護士。官僚としては主として警察畑を歩き山梨

県知事・警視総監などを歴任したが、

特に原爆被災時の(官選)広島県知事を務めたことで知られる。

 

当時の県知事は官選といって国の方で選んだ人物がまあいわゆる派

遣をされて

知事を務めておりました

高野知事はその日広島から離れたところに出張に行ったので

直接の難を逃れたのですが

ご家族は被爆し奥様は亡くなられております

知事は夕方には広島市内に戻って、そして市民救済の陣頭指揮を執

った翌日

TBSキャスターが意味を取り違えた諭告、諭告を出します

それがこちらで、当該箇所を読みますと

 

広島県市民諸君よ、被害は大なりと雖もこれ戦争の常なり

断じて怯むことなく救護復旧の措置は既に着々講ぜられつつあり 

軍もまた絶大の援助を提供せられつつあり

速やかに各職場に復帰せよ

戦争は一日も休止することなし

 

現代風の口語にざっくりとまとめるならば

ちゃんと救護と復旧の措置がとってあります

そして軍隊の方も最大限協力してくれると言っております

だから皆さんは各職場に戻って、まあそれぞれ各々の生活に努めて

ください

ざっくりというとこういうことなのでなんらおかしな話ではありま

せん

 

つまりTBSのキャスターは肝心となる、

ちゃんと救護と復旧の措置は取っています

軍隊も助けてくれると、援助してくれると言っています

という部分をざっくりとカットすることで

全く違う話をつくり出したということです

 

これは繰り返しになりますがこの季節がやってきた時の定期便、定

期便のようなお話

毎年のように繰り返されるのですが

再び ksl live さんのサイトに戻ってみると

 

これをカクサーン!としていたのが

なんと皆様のNHKだったんです

こちらにあるツイートとはこちらのことで

 

194588日】

他社にも渡すようにと知事諭告を受け取る。以下抜粋。

「廣島県市民諸君よ、被害は大なりといえども之戦争の常なり。断

じてひるむことなかれ」

「速やかに各職場に復帰せよ」

「戦争は一日も休止することなし」

 

一郎@ひろしまタイムラインというアカウントがこうツイートして

おりました

 

と、もしかしてもしかすると TBSのキャスターさんはこのツイート

をごくんと鵜呑みにして

裏どりも取材も確認もせずにどどんと天下の公共放送でお話しされ

ていたとであれば

それは池ガミートゥー、イケガミートゥー案件です。

 

はてさて、このアカウントのプロフィールがどんなものかというと

NHK広島の企画

75年前の新聞記者大迫一郎さんの日記をもとに日付を合わせて毎日

ツイート中

広島の若い世代がイチローのつぶやきを創作

創作しています

 

どうやらNHK広島の被爆75周年キャンペーンなるものの一環のア

カウントで

ツイートだけではなく

日記の原文をま現代文風にしてNHKのサイトで公開しております

そこで原典をたどろうと88日の日記をあたってみると

 

消えた、消えた、消えたというか

掲載されてないんです

この番組の撮影時点ではその前日の87日の日記迄しか公開され

ておりません

 

まあこれについては今後掲載されればきっちりとファクトチェック

をしてみたいと思います

 

ただ撮影時点での最新の87日の日記と

同じく87日と名乗るツイートを重ねてみるとかなり違っていて

 

そしてですね

twitter のこのアカウントのプロフィールを見てみると

つぶやきを創作しています、とあります

 

創作、創作

 

いずれにせよ日記の原典がドドンと公開されることを心から楽しみ

にしております

 

一方公共の電波を使ってテレビで広島県知事の、当時の知事の言葉

を紹介するのであれば

TBSのキャスターの方にはせめてウキペディア

ウキペディアぐらいは当たってほしいなあと願っております

 

さてそのTBSといえば平和287

【独自】とうたった、え次の見出しの記事を出しておりました

こちらは【独自】ティックトック規制に中国政府が懸念伝える、日

中関係に大きな影響を与える

ここで【独自】と銘打つのでこれはTBSだけのネタということにな

ります

記事の冒頭を紹介します

ティックトックなどの

こちらの国のアプリについて利用を制限すべきとの議論が日本国内

で出ていることを受け

こちらの政府がアプリが制限されれば関係に大きな影響を与えると

の懸念を外交ルート

を通じて日本側に伝えていたことが

JNN、まあこれTBSとかのグループですね

の取材で分かりましたとさ

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